自由意志(free will)

自由意志とは、自分の意志が自分の自由になるという仮説である。

自由意志とは人間が自己の判断に対するコントロールを行うことができるという仮説である。専門家の間でもよく見られる誤解は、自由意志を行為の自由(自由行為)と混同することである。人間による一連の活動は、(1)意志によって、(2)行為が発生し、最後に(3)結果が生じる、という形で一般化される。われわれが日常的に「思ったとおりに行動している」のは、(1)から(2)への遷移における自由行為に関するものであり、自由意志に関する議論と混同してはならない。身体的な拘束がない限り自由行為が成立するのは明白であり、論争の対象となることは少ない。これに対して自由意志の問題とは、その名称の通り(1)の意志そのもの、いわば「どのように思うか」が自由であるかについて直接的な問いかけをするものであり、意志の成立過程を対象とする必要が出てくる。様々な哲学上の立場が、あらゆる事象は過去未来にかかわらず、既に決定されているか否か(決定論VS非決定論)について、また同様に、自由は決定論と共存できるか否か(両立主義VS非両立主義)について意見を違えている。それゆえに、例えば、固い決定論は、宇宙は決定論的であり、このことが自由意志を不可能にすると主張している。

自由意志の問題は自由と因果との関係、そして自然法則は因果的に決定しているのかどうかという、原理的あるいは本質的な問いであり、宗教的、倫理的そして科学的原理の絡み合いから成っている。倫理学においては、自由意志は、個々人は自身の行為に対して道徳的な説明義務を負っているとするが、意志が自分の自由にならないのであれば、意志を原因として発生する行為、さらに結果についても、いかなる責任も問うことはできなくなってしまい、自由という概念全体が消失する。

自由意志の問題は、哲学的思索が始まって以来、中心的な論点であった。一方、現代の脳科学の進展によって意志の形成過程が解明されつつあり、もはや自由意志を形而上学上の課題として片付けることは許されない段階に来ている。

科学の領域において自由意志を主張することは、脳と思考を含む身体の動作が物理的な因果律によって完全に規定されているわけではないということとほぼ同等であるが、「物理的な因果律ではない別の何か」とは一体何なのかについて具体的な説明は、現段階では乏しい。

いずれにせよ、「道徳を維持しようとする力」と「決定論的な科学的思考」との、二つの対立が顕在化する中で、様々な見方が生まれてきたのである。

 

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